【ご報告】限界集落の暮らしが終わりを迎え、引っ越します。学んだこと。#inside 8
自分も想定外でした。
限界集落での暮らしを継続することが難しくなり、急遽引っ越すことに。
トラブルがあったのは事実ですが、ちょうど今後について色々と考えていく中で、歪みが生まれていたのは事実だったので、これもまたタイミングだなと振り返っています。
とはいえ、ほかの地域で時々炎上しているような、地域との揉め事というわけではないので、そこだけはお伝えしておきます。
引っ越すことになった理由と限界集落で暮らしていく悩み
3年間の暮らしで学んだことを書き残そうと思います。
限界集落生活の終わりを決定づけたこと
自宅について
2022年の4月、限界集落の中でも僻地中の僻地、ヤブの奥にひっそり佇む山小屋から引っ越しました。
Youtubeでもルームツアーしてますが、限界集落という場所からは想像もできない、戸建ての綺麗な物件。
工務店の経営者がオーナーで、社員を連れてBBQをしたり別荘のように使う物件として、自社で建てられた家。
今いる場所はとにかく湿度が高く、人が住まない物件は水回りからすぐにダメになります。カビだらけになります。
高齢になり、会社としてもほとんど使わなくなったということで、はじめは売りに出ていました。
相場的にもびっくりするほど安い金額だったので、マッチングさえすればすぐにでも売れたでしょう。
ただ、買い手が見つからず、とある議員さんの仲介もあり、長期的に使い続けるのであればという条件でお借りできることになりました。
家を売ったと連絡が入る
契約の区切りになる2024年1月を間近にした11月中旬
オーナーから
「家を売ったので1月末で明け渡してほしい」と間接的に連絡が入りました。
「どういうこと…??」
まったく理解が追いつかず、急に崖から突き落とされたように絶望しました。
しばらく事実確認ができないまま、「オーナーが変わるだけで貸してもらえるのでは?」という憶測も飛び交いましたが、結局ダメでした。
話を他の人経由で聞いてみると、親族から売って欲しいと以前から言われていたそうで、退去後に終活も含めて売却するとのこと。
前からあった話であれば、言ってほしかったし、急に売られたら困るので、長期的に貸してもらうことが条件だという話はしていました。
そもそも数年で出られては困ると、向こうから言われたんですけどね。
僕は昨年入籍したのですが、当時妻は新潟県で働いていました。
以前の自宅では同棲が難しいので近隣の職場がある場所まで移住するという話もあった中、偶然2人以上で住める家が見つかったこともあり、仕事を辞めて移住してもらったのが昨年12月。
もちろん、このあたりはあくまでプライベートなこちら側の話。
あとになって調べて初めて知ったのですが、賃貸契約には普通借家契約と、定期借家契約というものがあります。
今回は定期借家での契約でした。
違いは色々あるかと思いますが、借り主の立場が弱く、契約期間満了でいったん契約が切れます。
もちろん再契約もできますが、両者協議が前提。
つまり、普通借家と違い家を明け渡してもらうことができるのです。
ただし、1年前から遅くとも6ヶ月前に、貸主は借り主に退去してもらう旨を通告する必要があると、法律に定められています。
住める家がない
さて、これから住む家が突然なくなりました。
退去通告から、最低6ヶ月は守らるので、住もうと思えば数ヶ月は延長できますが、あまり意味がありません。
再契約を結ばなければいけないし、どのみち引っ越すのは事実。
さらに、近隣に代わりになる家があるかというと、住める物件はありません。(空き家はありますが、住めないか借りられない)
地域に密着した仕事もしているので、山間部ではなく、平地に住むという選択もできなくはないですが、自分としては可能性0。
あくまで今いる山間地に魅力を感じ移住しており、かつ市街地には微塵も魅力を感じていません。
家を仲介してくれた議員さん経由で、オーナーが市街地に持っている別の戸建てを貸してもらえる、という話も頂きましたが、候補にないのと、法的な力がない口約束とはいえ、いきなり家を売ったと連絡する人から家をお借りするのは無理です。
そもそも、限界集落でそんな綺麗な家に住める事自体ありえない事だから、もともとなかったものとして捉えるべきなんじゃない?
と、こんな見方もできると思います。
ただ、今の家に住めるという前提で、妻に仕事を辞めて移住してもらったり、1つ1つ設計してきました。
もし家がなければ、まったく違った選択になっていたのは間違いありません。
それが根底から崩れた以上は、すべてをもう一度0から考え直す必要がありました。
トラブルまでに抱えていた今後の悩み
賃貸問題が引っ越しを決断する決定打になったのは間違いありません。
ただ、ここ数ヶ月「本当にこの場所で永住とは言わないまでも、定住できるのだろうか」と不安に感じる要素が多かったのは紛れもない事実。
考えていたことを包み隠さずそのまま書きます。
項目ごとに分かれていますが、共通していきつくのは「人」です。
仕事
現在はメディアやSNSの運営以外に、中小企業の企画や広報の支援、自治体絡みの仕事という複業スタイル。
ちょうど今後のことも協議を重ねていた中で、本当にこの人たちと、この環境で仕事を続けていけるのだろうかと不安しかありませんでした。
ただ、ここに関しては周りがどうこうというよりも、自分にやり抜く覚悟や熱量、コミットが足りなかったと反省するばかりです。
「地方創生」「町おこし」というと、とてもクリエイティブで楽しそう!というイメージを持たれることも多いですが、実態は相当地味だし、泥臭いし、忖度の連続です。
特に自分の地域では、数年先が危ういほど危機的状況で、色んな面でちゃぶ台をひっくり返すような転換をしていかないといけない状態。
そんな状態で、身分も人脈もない若造が、平和ボケして向上心もなく、どれだけ仕事を他の部署や人に投げつけて楽できるか、が正義の世界で戦うには、分不相応でした。
自分の家族や大事にしたいライフスタイル、捻じ曲げられない信条を無視してまで、コミットすることはできないと判断しました。
とはいえ、悪いことばかりではありません。
経営判断や価値観・考え方にどうしてもついていけず、離れたプロジェクトもありますが、本当に貴重なご縁もありました。
まだ実績や経験不足な自分に仕事をお任せいただき、遠方になってもリモートで関わってほしいとまで言っていただけています。
それだけでも自分にとってはこの3年間が報われる気持ちです。
教育
次に教育の問題。
山間地や地方では、子供を通わせる教育機関がなく、渋々移住されるご家庭も少なくありません。
地方における過疎問題の大きな課題の1つです。
一方、今いる地域ではその教育が強みにもなっています。
高校以上はありませんが、少人数特認校として、木の香り漂う素敵な校舎の小中学校があります。
市内からの入学を希望されるご家庭も多く、面接での選考となっています。
また、登下校にタクシーやバスの無料送迎があり、大変魅力的な行政の取り組みだと思います。
ハードは素晴らしい、ただ、中身はどうか?
少人数で面接などもあり、治安も良い。
全国的に見れば間違いなく恵まれた環境に入るかとは思います。
日本の教育全体に共通する問題ではありますが、これからの時代を生きる上で必要な教育が組み込まれていません。
特に金融教育やテクノロジー、ITリテラシーなど、教員自身の知識・経験不足なことが大半です。
そんなこといったって、いったい義務教育でこのあたりが満足するレベルになることなんてあるのか?
大きな制度や仕組みが変わるには時間がかかりすぎるので、学校の外で子供に機会を提供できるよう、個別で動くしかないのかもしれません。
誰からどんな教育を受けるか、どういう環境で育ってきた子どもたちと学ばせるか。
上から目線のようになりますが、幼少期の経験から、子育てや教育は本当に重要だと思っているので、シビアに考えたいです。
風土・文化
少しふわっとした抽象的な話になります。
山間地はまだしも、市街地を含めた文化や風土が自分にはあいませんでした。
わかりやすい例が、スタバとパチンコ。
ショッピングモールにスターバックスとパチンコがなぜか隣接しているのですが(本当に意味不明)、パチンコは平日・土日問わず毎日混雑しており、スタバはいつ行っても空いています。
娯楽が少ないため、遊び方・お金の使い方がどうしてもこうなりがちなのは地方の特性ですが、四国は全体的にその傾向がかなり強いと思います。
これが悪いとは思いませんが、自分はそういう雰囲気を好みません。
また、祭り文化にも違和感を感じていました。
祭り自体が嫌いなわけではまったくなく、その中身とやり方です。
近隣地域も含めて、太鼓祭りが秋に開催されますが、毎年ルールを破り揉め事が勃発。
救急車で運ばれたり警察沙汰になるのは日常茶飯事。
こういうものだから。いつものことだから。と毎年のように繰り返す光景が申し訳ないけどアホくさい。
文化的側面からみた祭りの重要性については、詳しくないですが聞いたこともあります。
ただこういった風習だけは一生まったく賛同できませんね。
もう1つ大きな問題が、市街地の悪臭問題。
紙製品を主産業とする工業の街で、昔に比べればかなり和らいだようですが、製造工程でどうしても発生する腐卵臭のような悪臭が街を漂います。
あくまで市街地なので、山間地の空気はとても綺麗です。
トイレットペーパーや生理用品など、暮らしを支える必需品なので、ありがたいとは思いつつも、最後まで慣れず受け入れられませんでした。
今回の一件で学んだこと
地方を美化せずリアルに向き合って、常に視野は広く
地方暮らしや地方移住に幻想を抱いて美化してしまう問題は度々話題になりますが、少なからず自分にもその側面があったと思います。
一度移住してしまうと、一貫性や自己正当化のバイアスが働き、「ここはいい所だ」「やっぱり素晴らしい」という思い込みが生まれます。
視野が狭くなったり、フラットに考えにくくなってしまいがちでした。
自分の場合、自然豊かな場所で、綺麗な戸建て物件を格安でお借りできたことがトリガーとなり、
「こんな環境はほかにない」ともともと不安や不満に感じていた前述の内容をどこか押し殺していました。
冷静に考えてみれば、自然に恵まれ、自分が憧れるロケーションの場所はいくらでもあります。
また、今回の件で戸建賃貸という選択肢が地方にあることを初めて知りました。
10万円以下で3LDKや4KDKの綺麗な戸建てに住むことができるのです。
これまでの環境がとてもありがたかったのは間違いありませんが、それが「代替不可能な唯一無二」ではなかったということです。
現実とのギャップに絶望して都会へと回帰する「地方移住失敗」の事例が跡を絶ちませんが、自分は都会には戻りません。
極端な田舎で暮らしてみて、一見不便だと思われることが大して問題ないこともわかったし、やっぱり自分にはメリットのほうが大きいと思うので。
今後の移住においても、美化して思い込んでいないかという視点を欠かさずに、視野を広く持ち続けたいと思います。
今起こっていることをどう捉えるか
「家を売った」と聞かされたときは、崖から急に突き落とされ、目の前が真っ暗になる感じで絶望しました。
しかし妻は切り替えが早いというか一瞬で、「さっさと引っ越すよ」と強強メンタル(笑)
そもそも妻自身、長居するつもりがなかったこともありますが…
そんな心強い鶴の一声もあり、そこからもう一度0から自分の本心と向き合い、移住先探しなどをしていくうちに、ベリベリと脱皮をするかのごとく、何かが剥がれ落ち、より良くなるための転機だと腑に落ちました。
これも合理化だとまとめてしまえばそこまでですが、今起こっていることに対して前向きに人生を進めていく上ではとても重要なことだと思うんです。
実際に次の拠点探しも、そこから現地下見、物件契約とトントン拍子に話が進み、自分でもあまりにスムーズで怖いくらい。
会社でも拠点探しでも、人や環境が超重要
「何もかもが整った」という意味ではありません。
会社でも大手の充実した体制や福利厚生が合う人もいれば、ベンチャー気質でやりがい重視の方もいます。
人や環境が自分にフィットするかどうか。
逆にここを間違えてしまうと、どこかで崩れるタイミングが来るし、多少何かを我慢してやりきらないといけないことがおこったときに、耐えきれません。
見えづらいし、何が合っているかなんてなかなか分かりづらいけど、向き合うことの影響力はものすごく大きいと痛感しました。
振り返りとこれからのこと
トラブルもありましたが、今回の地方移住が失敗だったとは全く思っていません。
住む家がなくなって数日は魂の抜けた屍と化していましたが、よくよく考えてみれば、民間の中にいたらなかなかできない経験やキャリアを積むことができました。
定住しなければ、地方移住としては成功とは呼べないかもしれませんが、住まずとも引き続きその地域の仕事を関係人口として継続します。
住める家や仕事に限界がある過疎地域では、定住人口ではなく関係人口をどう生み出していくか、ということがよく議題に上がる中で、こういった結果になったのは地域にとっても自治体にとっても、1つの事例になるのかなと思っています。
これからの暮らしや拠点について。
次の移住先は、車で10時間ほど。
幼少期から時々家族で訪れていたり、仕事でも今年行っていたり、なんならつい最近結婚式を挙げた都道府県。
思い入れもあるあこがれの場所です。
拠点選びや環境については、また後日書きたいと思います。
長々とお付き合いいただきありがとうございました。